ゾウ狩りの遺跡

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イラスト:金子三蔵氏

野尻湖の遺跡からは、ナウマンゾウの化石といっしょに木で作った槍や骨で作った皮はぎの道具であ る骨製スクレイパーや骨製クリーヴァー(ナタ)が見つかります。ナウマンゾウの化石の散らばり方も自然ではありません。

4万年前の野尻湖人たちはここでなにをしていたのでしょうか。私たちはナウマンゾウを狩りして、解体していたのではないか、と考えています。皆さんはどう思いますか。いっしょに考えて見て下さい。

写真:野尻湖文化の骨器

写真:野尻湖文化の骨器

ナウマンゾウの化石が含まれる地層から、旧石器人類のつくった道具がいっしょに見つかりました。ナイフ形石器、スクレイパー(皮 はぎ)などの石器、骨製ナイフ、骨製クリーヴァー( ナタ )などの骨器が発見されています。これらは野尻湖にいた旧石器人類(野尻湖人)たちが野尻湖に残したものです。骨器を特徴とする文化を野尻湖文化とよんでいます。今からおよそ4.8万年前から3.3万年前の文化です。

野尻湖はどんなところ? 人間とのつきあいが最も古い湖です。

新潟県境に近い信濃町の野尻湖は、水深は38.5m、面積は約4.45k㎡あり、県内では諏訪湖につぐ大きな湖です。約7万年前に、黒姫火山の山腹が大崩壊して岩なだれが発生し、今の信越線沿いを県境の関川まで流下しました。この岩なだれが斑尾山から流れる谷を堰き止めて、野尻湖ができました。

野尻湖は、約5万年前に湖西岸の仲町付近がしだいに隆起をはじめ、現在の湖の形に近づいてきました。約4万年前には、ナウマンゾウをもとめて、旧石器人が狩り場として利用するようになりました。このように人と長いつきあいのある湖は日本では他に例がありません。

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斑尾山からの眺望。左が黒姫山、右が妙高山。

野尻湖発掘の場所は、立が鼻の南側(立が鼻遺跡)にあります。ここに立って4万年前のゾウ狩りの様子を思い浮かべてみましょう。野尻湖の周遊道路を一周すると、湖の東側と西側の地形が大きく異なっていることに気づきます。観光客でにぎわう西側の地形はなだらかで遠浅ですが、湖の東側は道路の高低差が大きく、岬が多く変化に富んだ地形になります。これらの岬は今から約100万年前に斑尾火山から噴出した溶岩などでできています。この溶岩は西側の地域には及んでいません。溶岩が分布するところは岬がおおく、湖岸も急深になっており、たいへんすばらしい景色のところです。そのかわり平坦な地形が少ないので、主に別荘地として利用されてきました。

変化にとんだ湖岸線は豊富な種類の魚、貝、エビや水草がすめる環境を提供しています。このような多様な環境は、ホシツリモのような珍しい水草にも適していました。野尻湖では昭和63年に赤潮が発生し、しだいに富栄養化がすすんでいます。今では小学生もいっしょになって地域ぐるみで、野尻湖の環境を保全するとりくみを行っています。

長い歴史をもつ野尻湖は、湖の自然環境と人間との共生を考える上で重要なことを教えてくれる湖なのです。