11月20日(火)の午後7時から、博物館2階多目的室で第2回目の講座をおこないました。
今回は当館の関めぐみ学芸員が講師となり、「地層が語る野尻湖7万年の歴史」の題で話をしてもらいました。ナウマンゾウの化石が見つかる野尻湖底の地層「野尻湖層」についての説明や、野尻湖を取り囲む火山から噴出した火山灰の話、古環境を推定するために分析をしている花粉や珪藻(けいそう)の話など、野尻湖周辺の地層や古環境について紹介していただきました。
11月20日(火)の午後7時から、博物館2階多目的室で第2回目の講座をおこないました。
今回は当館の関めぐみ学芸員が講師となり、「地層が語る野尻湖7万年の歴史」の題で話をしてもらいました。ナウマンゾウの化石が見つかる野尻湖底の地層「野尻湖層」についての説明や、野尻湖を取り囲む火山から噴出した火山灰の話、古環境を推定するために分析をしている花粉や珪藻(けいそう)の話など、野尻湖周辺の地層や古環境について紹介していただきました。
文化庁の補助事業で「サテライトミュージアム事業」というものをおこなっています。信濃町の中の店舗や宿泊施設などにナウマンゾウの歯の化石などを置いてもらい、見た方にナウマンゾウや野尻湖発掘に興味をもってもらって、博物館に見学に来てもらおうという取り組みです。
昨年に続き今回が2回目ということもあり、参加者は3名と少なかったのですが、博物館の職員といっしょにレプリカに着色する作業をやっていただきました。
今日の作業はあらかじめ型に石こうを流してつくっておいたナウマンゾウの臼歯とヤベオオツノジカの下顎骨に、本物を見ながら着色をしてもらうというもので、最初に近藤館長から今回着色する化石の話を聞いてから色をぬり始めました。
茶色をベースにいろいろな色を混ぜながら色をつくってぬりましたが、なかなか本物の色に近づけるのは難しいと感じました。
サテライトミュージアムとして町内で展示されているレプリカは、昨年製作されたものと合わせると、30箇所以上の所にあります。見かけましたらぜひ、よく観察してみてください。
氷河時代案内人(地域学芸員)養成講座の受講者を募集したところ、28名の方にご応募いただきました(11日に応募を締め切りましたので、現在は募集していません)。
11月13日(火)の午後7時から、博物館2階多目的室で第1回目の講座をおこないました。予想よりも多くの応募者があったため、用意した席はすべてうまってしまいました。
今回は当館の近藤館長が講師となり、当館の展示解説書をテキストに使って、「野尻湖発掘と哺乳動物化石」の題で話をしてもらいました。ナウマンゾウの名前の由来やナウマンゾウの歯が野尻湖で最初に見つかった時のようす、野尻湖の発掘で最初に化石が掘り上げられた時のことなど、面白いエピソードを交えて話をしていただきました。
また、ナウマンゾウの特徴も、歯のレプリカを使ったり、他のゾウの歯と比較したりして、わかりやすく説明していただきました。
野尻湖ナウマンゾウ博物館では文化庁の平成30年度地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業を活用して、野尻湖周辺活性化事業実行委員会による「野尻湖周辺を活性化する博物館活動事業」をおこなっています。その一環として、当館の活動をサポートしていただける方を「氷河時代案内人」として認定し、博物館の活動と野尻湖周辺を大いに盛り上げていただきたいと思い、「氷河時代案内人」の養成講座をおこなうことといたしました。
講座3回と講演会1回の計4回を受講していただいた方を「氷河時代案内人」に認定させていただきます。
つきましては、「氷河時代案内人」になっていただける方を募集いたします。詳しくは募集チラシをご覧ください。
多くのみなさまのご応募をお待ちしています。
野尻湖ナウマンゾウ博物館の休館日は月の末日となっています。
10月31日(水)は休館日ですので、お間違えのないようお願いいたします。
野尻湖は紅葉の見ごろを迎えています。
野尻湖ナウマンゾウ博物館から野尻湖方面へ進み、湖岸に近い周遊道路をおよそ600m南へ進むと湖楽園というキャンプ場がありますが、その隣に「緑・水・風の空間」という親水公園があります。ここはかつて東京大学の寮があった場所で、現在は公園に整備されています。
今日は天気が良かったのでここに行ってみました。正面に紅葉で山全体が赤く色づいた斑尾山がきれいに見えました。
湖に下りることもできますし、ベンチがあって、ナウマンゾウのモニュメントなどもありますので、野尻湖の自然を楽しむにはとても良い公園です。ぜひ、行ってみてください。
本日はとても良い天気でしたので、野尻湖周辺で写真を撮ってきました。紅葉が徐々に進んできています。
国道18号線「野尻湖」交差点にあるナウマンゾウの親子像の後ろに見える黒姫山は、スキー場のあたりまで山が赤く色づいています。
ナウマンゾウの親子像のところから少し南側に移動すると、黒姫山(左)と妙高山(右)がとてもきれいに見えます。
野尻湖には小さな島があります。楽器の琵琶の形に似た島で、琵琶島といいます。島の中央に鳥居が見えますが、島には宇賀神社という神社があります。島は色づきはじめですが、後ろに見える斑尾山は赤く色づいています。
野尻湖畔の水戸口公園や、博物館駐車場から見た野尻湖のようすは現在こんな感じです。
野尻湖ナウマンゾウ博物館の休館日は月の末日となっていますが、その日が土日の場合は次の平日が休館日となります。9月30日が日曜日ですので、9月の休館日が10月1日となります。
10月1日(月)は休館日ですので、お間違えのないようお願いいたします。
本日、「野尻湖から水を引こうとした”幻の水路”明治時代の水路跡見学会」という学習会をおこない、雨が降る悪天候の中でしたが、22名の方にご参加いただきました。
野尻湖は長野県北部にある湖ですが、この水を使う優先権は新潟県の高田平野の用水組合がもっています。江戸時代の17世紀後半に高田藩が開削した用水の使用から続いているのですが、一時、長野県側へ水を引くために、野尻湖に穴を開けて通水したことがありました。明治時代の出来事です。
野尻湖に穴を開ける工事は明治11年(1878) 2月に着工し、その年の8月27日には約180mのトンネル(当時はこれを繰穴(くりあな)と呼んでいました)が貫通しました。そしてそれを水の乏しい村へ通水するために水路が掘られました。
しかし、この水を計画通り通水するためには鳥居川に大きな筧(かけい)をかけなければならず、結局は筧の設置ができずに、鳥居川の手前までで水路は止まってしまいましたが、鳥居川の手前のところまでは通水されたため、周辺では多くの畑が田んぼになりました。ここで問題になったのが水利権で、当初の約束を守らずに通水を続けたために裁判で敗訴となり、明治24年には完全にふさがれてしまい、以後、水が通ることがなくなったのです。
閉塞後、130年程経過しましたが、町内にはこの水路跡が多く残っていて、今回、ところどころを見て回りました。
また、太平洋戦争の時、この水路を使って野尻湖の水を鳥居川に入れ、川の水位をあげようとしたことがあったそうですが、通水する前に終戦となったようです。この時に川に注ぐところの底面には石が張られ、両側面も石積みにされて、三面張りの水路にされたということで、今回、その場所も見学しました。
結果的にうまくいかずに、忘れ去られてしまった土木遺産ですが、残された水路の見学を通し、当時の人々の考えや、掘削の苦労などを考える良い機会となりました。(渡辺哲也)
講演会「オオツノジカとヘラジカ」を9月22日におこないます。講師に元大阪市立自然史博物館学芸員の樽野博幸さんをお迎えし、日本国内で見つかっているオオツノジカやヘラジカの化石の最新の研究からお話しいただきます。開催中の特別展の展示解説もおこないます。当館入館料のみでご参加いただけます。
期 日 9月22日(土)13:30~15:30(13:00から受付をおこないます)
場 所 博物館2階 多目的室
お申込み 9月21日(金)までに当館(☎026-258-2090)へ電話にてお申込みください
講演会「オオツノジカとヘラジカ」(詳しくはこちら)